母親同士のお付き合いと、心のうねり。過去の傷と向き合いながら生きるということ

子育て

今日は幼稚園に行ってきました。下の子の自由参観でした。私は先日も書きましたが、幼稚園に行くのを極力控えているのですが、今日はしかたありません。きっと子どもが待っているでしょう。案の定、子どもは私を見ると嬉しそうにニコニコしていました。

でもやっぱり、こういう場は苦手です。同じクラスのおかあさんに挨拶しても、知っているのか知らないのか無視する人もいますし、子どもが仲良しだからって親も気が合うという保証はありません。だから、摩擦や無視が起こるこうした場所はできる限り避けたいというのが正直なところです。 悪いお母さんばかりではありませんが、こうした場所では嫌な思いをすることが多かったのです。それは、私のトラウマがそうさせるのかもしれません。

それに、一部のお母さん同士で固まってグループができていたらもう最悪です。こうした人は仲間内でのルールがあって、「同じように足並みをそろえる」という規律があります。中に入ったら入ったで大変でしょうが、この人たちに目をつけられたら怖いのです。

「普通」であることを要求される世界では、「普通じゃない」ことに対する風当たりが強いからです。私はいまでも何が「普通」で「普通じゃないか」ということがいまだに分からないことがけっこうあります。だからそうした行動をしたときに批判する声がきこえると、それだけで気が滅入ってしまうのです。批判しないまでも、雰囲気でわかるときもあります。もう少し寛容であってほしいと思いますが、こればかりは変えられないでしょうね。

だから、こうした母親問題がいろいろ絡み合って、いわゆる「音羽事件」のような問題に発展してしまうのだと思います。 小学校にいったらこうした付き合いはなくなるようですが、また別の面でいろいろあると先輩ママにききました。はぁー。子ども自身で問題を解決していけるよう手助けしたいです。そして年を追うごとに自分で少しずつ責任を取っていけるよう、徐々に手を離していきたいのです。 少なくとも、私が受けた教育「レールをひくだけひいて、いきなり手を離す」という二の舞はしたくないと思っています。

人間関係の恐怖と、押し寄せる心のうねり

4月は苦手な月だ。新入学、進級と親が幼稚園や学校に行って懇談会や役員決めをはじめ、茶話会などの企画があるからだ。 人と話して楽しいとか、自分が人の中で生かされていると感じられるのならば役員を引き受けたり、人と交わるのも意義あることだし、悪いことではないとは思う。

でも私は得てしてこうしたことが苦手なので、挨拶一言いうにしても緊張感が走って頑なさ、ぎこちさが出てしまいます。どうしても周りのお母さんたちととけ込めない。 いままでの虐待や言葉の暴力、いろいろな体験から「人から責められる」という感覚がどうしても抜けずにこうした雰囲気をつくりだすのだろう。だからこうした場を何回踏んでも恐怖が先にたち、おびえや恐怖を感じる。 こんな自分ではいけないと、最近では中村天風の潜在意識を変える暗示を寝る前と朝起きたときにやっているのだが、そう簡単に効果が出るわけではない。

子供が小学一年生の4月に学校で役員決めがあった。結局隣の家の奥さんが赤ん坊がいるにもかかわらず役員をするというので、「Kさんもやりなさいよ」と押し出された形で広報を引き受けることになってしまった。隣の奥さんとしては悪気はなかったようだが、私としては押しつけられた形で後味が悪い。隣の奥さんが言うには「誰かがやらなければなんないでしょ」というし、もっともだと思うのだが、人の状況も考えずみんなの前で私を押し出したのは感じがよくなかった。

おまけに隣の子供も家で父に子守を頼んでいたので、私が帰ってきたら一緒に来ていた母が「もう預かるのはいやだ。隣の子はおやつも自分のはうちの子にちょっとしかよこさないで「ありがとうは?」と要求するのに、そのくせうちの分はしっかりもらう。近所だからって深入りしない方がいい。」というのだ。 また「公園にいったら行ったでどこに行ったかわからないし、預かっている以上ケガさせてはいけないから、おじいちゃんがわざわざ探しにいったのよ。もう預かるんじゃないね。」というのだ。

私が「前の日どしゃぶりで幼稚園の懇談会があったので隣に預けたからお互いさまよ。」というと、「今度は役員引き受けて赤ん坊も預からなくちゃいけなくなる。自分が大変になるんだから。」とそれをその子のいるところで言うので、「そんなことここでいわないで」とたしなめたが、隣の家の親の耳に入るのも時間の問題だ。なんだって母は一緒に来たんだろう。余計気が滅入る。

役を引き受けることになったのもその奥さんの押しつけでなってしまったし、なんでまた隣同士で同じクラスになったのだろうと、よりいっそう気持ちが落ち込んだ。

人とのつきあいは難しいのになんでまたこうして心が波打つようなことが起こるのだろう。自分自身が不確かでやけくそになって自分を見失い、無理をしてしまう自分が怖い。心が極限に極まれば自分を傷つけるばかりでなく、衝動的に何かを起こしてしまいそうな自分が恐ろしい。 幸田文ではないが、「自分が捨て身になっている時には自分も傷つくが相手にも致命的なダメージを与える」ことも私には容易にできるような気がする。自分自身に肝が据わっているというか、相手を傷つける可能性があるような感覚がある。

だから余計そういう心のうねりの中には入りたくなかった。私が本気になれば誰かを傷つける恐れがあるということも、人つき合いをさけている理由だと思う。もっと心に柔らかさが欲しいし、自分の心が誰から何を言われても動じない自分でいたいと感じる。

結婚生活を経て、呪縛を解いていく

子育てをしていて一番苦しかったのが幼稚園時代です。 私は幼稚園のお母さんたちのお付き合いが苦手で、なるべく幼稚園には行きたくないのだが、子供はどの子もお母さんが来るのをとても楽しみにしているので行かないわけにはいかない。だからいつも気力を振り絞っていくのだが、帰ってくるとどっと疲れるのだ。でなければ自分に対していらだちを感じたり、自分自身が情けなくなって泣きたくなるのだ。たぶん精神が不安定だったのだと思う。 上の子の幼稚園デビューに失敗してから余計その感が強くなったようだ。

これは今に始まったことではない。子供時代からずっとそうだった。 でも学校やアルバイト先、会社では自分を無理矢理我慢させてずっときたのだ。家に帰っても安心感ややすらぎなどというものは存在しなかった。いつも自分を追い立て、責めてその環境に押し込もうとしてきた。

結婚相手にしても、親が「もう誰でもいいから結婚しなさい」と責め立てたときには自分の気持ちさえわからなくなっていた。幸い将来の伴侶があらわれて結婚できたわけだが、それまではどこにも私が安心して休める場所というものはなかった。 だから結婚当初はよく夢でうなされたし、不安でたまらなかった。

いま結婚生活が10年を超えて、最近ようやく「嫌なことは我慢しなくてもいいのだ」と思えるようになってきた。 むろん最低限のことはしなくてはいけないけれど、いままで押さえつけてきた気持ちからようやく解放されようとしているのが実感として湧いてきたように思う。 人が怖いのは相変わらずなのだが、私を認めてくれる人もいるんだと思うことで恐怖心を取り除いていきたいと思う。

そして母から言われ続けた「人間関係がうまくいかないのはあんたの性格が悪いからだ」と言う言葉を破り捨てたいと思う。 いままでずっとそう信じ続けたのは間違いで、「不全機能家族だったからそうなったのだ」と改めて自分にいってあげたいと思う。 いまの私にとって「アファメーション」はかかせないアイテムである。少しづつ自分の記憶を塗り替えていく作業を地道にやっていきたいと考えている。

私の居場所はどこ?

息子がトイレ掃除をしてお小遣いをもらっているのをみていた娘が「自分もやる」と言い出しました。強要するのはよくないので「自分でやりたい仕事を探してきてね。その代わり一度決めたら毎日やこと」と言いましたら、「玄関掃除をやる」と娘が言いました。 でも娘が一人で出来るわけもなく、毎日娘につき合ってほめながら玄関掃除しています。将来、有望な家事の担い手になると信じて。

私の母は私の子供時代、なんでも文句を言い、けちをつけ、「あんたは手伝いをしない」と決めつけました。正直にいうとそれは母が怖かったから。失敗のミスをネチネチあとあとまでいわれるのがいやだったから。感謝の言葉もなく、言われるのはいつも否定的な言葉だけ。

いつもいつもマイナス思考で子育てをしていた母。本当は母自身が誰かに認めてもらいたくて寂しかったのかもしれません。そんなやり方しかできなかった母を哀れに思います。でもだからといって私のインナーチャイルドが納得したわけではないのです。 いついつもこのことが心の中に疼いて自分の反面教師にするべく、奮闘している自分がいます。子どもにはできるだけよりいい方法で学んで欲しいと思っています。だからといって自分が経験したわけではないので本を読んだり、情報を収集します。これが膨大なのです。本当に子供時代、学び損なったことがいかに多いかを感じます。

実践も手探り状態です。普通は失敗してもうまくいかなくても親が励ましてくれると思いますが、それは望むべくもありませんので自分で自分をほめます。妹はそれがわかっているので私のところにその言葉を求めます。彼女はモニター以上に危うい子育てをしているので彼女を励ますのは私の役目です。 時になんでこんなに理不尽なのだろうと思ってしまいますが、それでも一歩ずつ、自分の手で家族を温かく育て直していきたいのです。

[おすすめ書籍・心のリハビリとアファメーションの参考図書]

・今日、自分のために何ができる? アダルトチルドレンを克服する 幸せ方程式の見つけ方 過去の傷や母の呪縛をそっと手放し、自分の言葉で心を満たしていくための心強い道しるべとなる一冊です。

[おすすめ関連記事・内部リンク]

コメント

タイトルとURLをコピーしました