毒親育ちの悲しみを癒してくれる音楽【アファメーション3選】

癒し

時代

そんな時代もあったねと いつか話せる日が来るわ あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ だから今日はくよくよしないで 今日の風に吹かれましょう

——『時代』中島みゆき

アダルトサバイバーの私は、いつもこんなふうに自分に言い聞かせながら生きてきました。 

あの苦しい子ども時代には、二度と戻りたくない。

自分というものを持てず、いつも親の所有物として扱われてきた。

いまだにそれは変わらないけれど、でも私は人権のある一人の人間なんだ。

嫌なときは「いやだ」とはっきり大きな声で言いたい。

たとえ親から絶縁されてもね。

今はこんなに悲しくて、涙も枯れ果てて、もう二度と笑顔にはなれそうもないかもしれない。

 だけど、「そんな時代もあったね」といつか笑って話せる日が来る。

そう信じて、今日の風に吹かれていこう。

喜びも悲しみも繰り返しながら、時代は回っていくのだから。

瑠璃色の地球

夜明けの来ない夜は無いさ あなたがポツリ言う 灯台の立つ岬で 暗い海を見ていた

——『瑠璃色の地球』

この情景が、私はいちばん好きです。

それはいつも、そうやって私が一生懸命生きてきたから。

 どんなにつらくて、しゃがみ込んでしまいそうなときも、前を見つめて信じていました。

母からの暴言や暴力も、ヒステリックな先生に人格否定されたときも、中学時代のいじめや仲間外れも、アルバイトで性格を罵られたときも、会社でリストラに遭ったときも―いつだってそう信じて生きてきた。

悩んだ日もある 哀しみにくじけそうな時も 生きて来られた

この歌は、私とインナーチャイルドの姿そのもののようです。

二人が一つに統合されていくようなイメージ。 本当は恋人同士のような関係なのかもしれないけれど、それでもいいの。

少なくとも、自分の子どもには世代間連鎖はさせない。

私は母のようにはならない。

子どもを守り、愛し、抱きしめたい。

私の悲しみが、いつか優しさに変わるように。

子どもたちはわかってくれている。

それが、私の唯一の救いです。

母もまた、愛されたかったのでしょう。

親になってその苦しみがよくわかるけれど、でも母にはできなかったんだね。

かわいそうな人。

 愛する力が愛憎に変わってしまったのでしょうか。

私にはわからない。

どうしてあんなことを子どもにできたのだろう。

生きていらっしゃる間は誰もが「地球という名の船の旅人」。

 神さまが決めたその日まで生きていこう。

あせらないでいいんだよ。

さとうきび畑

私は、新垣勉さんが歌う『さとうきび畑』が好きです。

新垣勉さんは、沖縄で米兵と日本人女性との間に生まれ、助産婦のミスで両眼を失明された盲目のテノール歌手です。

両親に捨てられ祖母に育てられた彼は、はじめは自身の境遇や両親を深く憎んでいましたが、牧師やキリストとの出会いによって人生が変えられたといいます。

 彼はその後、武蔵野音楽大学大学院を卒業し、テノール歌手として全国を回っていらっしゃいます。

それは、アダルトサバイバーとはまた別の、深い苦しみを背負った人生でした。

寺島尚彦さんが作詞・作曲したこの曲は、一聴すると穏やかでありながら、聴いていくうちに「反戦歌」であることに気づかされます。

 太平洋戦争時、私の母方の祖父は、南国の島で戦死しました。

よってこの曲は、私にとって決して他人事ではない、特別な歌です。

祖父が死んだとき、母はわずか2歳。

その弟は生まれたばかりでした。

だから、父親のことはまったく覚えていないそうです。

 その後、祖母は公務員という職に就き、女手一つで2人の子どもを育てました。

きっと、その頃の祖母も必死だったのでしょう。

「母にあたっていた」という話を、よく愚痴として聞かされました。

 生理でおなかが痛いときには足蹴りにされ、子どもの頃から「私には頼らないで」と言われて育ったと母は言っていました。

それがさらに世代間連鎖として、私たちへの虐待につながったのでしょう。

祖母と同じことを、母は私たちにしたのです。

この虐待は、現代にもまだ残る「戦争の後遺症」と言ってよいものだと思います。 

子ども時代、「祖父がいたら」と何度思ったことでしょう。

「おじいさん、助けて」と。とても優しい祖父だったそうですから。

だからこの歌は、私にとっても特別な意味を持っています。

戦争は二度としないでほしいと、心から願います。

【参考記事】 毒親育ちが心の底から泣きたいときの音楽【アファメーション3選】

今回ご紹介した曲・CDはこちら

親の介護やこれからの現実に直面している方はこちら: 毒親育ちの介護【祖父母】

コメント

タイトルとURLをコピーしました