本記事では毒親育ち50年以上の私の妹の婚活体験談【その3】をお伝えします。
妹は、28年前に一回目の恋愛をし、その3年後に離婚しました。
共依存のカップルそのものだったように思います。
妹の失敗談【その3】を読むことにより毒親育ちの婚活の参考になりますので
最後まで読んでみてくださいね。
少女の生い立ち
誰も知らない押入れの奥で息を殺して泣いている少女がいました。
本当はかけがえのない存在として扱われるはずの女の子でした。
けれども少女は、十分な関心をむけられず、片隅に放っておかれました。
少女は、いつか自分を愛してくれる人がやってくるのを
ずっとずっと待っていました。
少女は「お前は橋の下から拾ってきた悪い子だから」
と毎日のように毒親にぶたれました。
おびえた目の底で怒りと悲しみと不安を隠すため、
いつも身をこわばらせて息を殺して泣いていました。
数年がたっても少女は、毒親に守ってもらうどころか、
毒親の機嫌をとらなければいけませんでした。
あまりに毒親の仕打ちがひどく、中学生の時に量販店の屋上で
自殺しようと思いましたがたまたま店が休みだったため、
少女は命を失わずにすみました。
少年の生い立ち
長い年月少年は、「お前だけが生きがい」といわれて育ちました。
毒親に認めてもらいたくて学生時代は、いい成績を取って
立派な人にならなくてはと必死でした。
こうしてかけがえのない少年は「共依存」の大人になりました。
二人が出会って恋に落ちて
そんな2人が出会ったとき・・・
二人は恋におちました。
「この人こそ、私が待っていた人だ」と女は思いました。
相手のことはよく知らないけど、どこか似ている気がしました。
2人とも目に見えない傷を抱えています。
恋愛共依存カップル
けれど、女はどれだけ愛されても満たされませんでした。
「どうしてちゃんと愛してくれないの」
と女は男を責めまくりました。男は生き苦しくて
「もう、勘弁してくれ!これ以上苦しめないでくれ!」と叫びました。
愛し合った2人は、いつの間にか憎しみあっていました。
それでも別れられない2人は、しばらくして一緒に暮らし始めました。
共依存とは⁉︎
→健全なパートナーを選ぶために毒親育ちが気をつけなければいけないこと
結婚生活の破綻
そして大きな問題にぶつかります。
女は気持ちを伝えあい、支え合う関係をのぞんでいました。
男はどんな「関係」も望んでいませんでした。
ただ、相手を自分の物にしたかったのです。
いつも自分のためにいて自分を心地よくさせてほしかったのです。
それができないとわかると男は女を無視して毎日ゲームに溺れ、
女の存在がないかのように自分の世界に入っていきました。
共依存カップルの結婚生活の終焉
このモデルは私の妹で彼女もアダルトチルドレンです。
この物語は妹の初めの結婚を描写したものです。
結局、残念ながらこの結婚はうまくいきませんでした。
共依存カップルの結婚生活の終焉は、妹が新築の二世帯の家を出るという形で破局を迎えました。
それも私の結婚式の二週間前に。
共依存的な恋愛から抜け出すポイント
共依存的な恋愛の克服には、粘り強い取り組みが必要です。
心の基礎体力をつけることが本質的な解決策になります。
毎日コツコツ筋トレをするようにとり組むことが大切です。
共依存的な恋愛から抜け出すポイント
・素直なコミュニケーション法を身につけること
・自分が本当に欲しかったものを知ること
・自分が毒親育ちだと理解して解決のためのヒントを得ること
今までの心の習慣や行動のしかたを新しい考え方、
新しい行動のしかたに変えることは、ぎこちなさを感じます。
ただ、次第に慣れてできるようになっていきます。
練習、習慣化の意識を持ってとり組むことが
共依存的な恋愛から抜け出す解決法になります。
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