とても悲しかった
私の学生時代、ファーストフードの店の経験はもうひとつあった。
早朝や休日を中心にバイトしていたのだ。
それは肉体労働者の男性が主なユーザーの全国展開しているY屋だった。
時給がよかったのでお金のためにはなりふりかまってはいられなかった。
店長は私より10歳年上の若い店長だった。
この店長は夜学に通いながらY屋で働き、
そのまま就職したという経歴の持ち主だった。
もともと中学は超進学校のお坊ちゃま学校だったらしく、
なにか事情があって夜学にいったのではないかといううわさだった。
この店長はバイトの人たちにとても煙たがられ嫌われていた。
そしてこの下にクリスチャンの副店長がいた。
この人も夜学の大学に通いながら働いている苦学生だった。
いつも腰が低く、飄々としていてつかみ所がなかった。
バイトに入ると私はいつもカウンターの担当で
オーダーをとる係だった。
店は基本的にバックヤードとカウンターに分かれていて
労働時間とカウンター歴によってバックヤードの仕事もできる仕組みになっていた。
でも私は限られた時間の中でバイトをしていたので
最後までバックヤードにはなれなかったが。
Y屋ではせまい更衣室の中で着替えをし、食事を取るので
いろいろなにおいが交じり合っていた。
そして私の場合、バイトは店長と組まされることが多かった。
店長は私に下心があった。
この狭い控え室で何度か自分の部屋にこないかと口説かれた。
後から考えればこの店長もさみしかったのかもしれない。
でも私は頑なに拒否していた。
この店長に怒鳴られることもあり、
感情の起伏が激しかったのでとても怖かったのだ。
店が暇なときはよく掃除もした。
あるとき、男女二人づつのヤンキー風の4人が店で食事していた。
店長が私に掃除をしろというのでいつものように箒で床を掃いていた。
するとこのヤンキーの姉ちゃんが
「あんた食事しているときに掃除するなんて非常識じゃない?
まったくどんな教育受けてんのっ」
と怒鳴られた。
私はすぐに「すみません」と謝ったが
その姉ちゃんは納得しないようだった。
店長が出てきて4人分の食事代をただにした。
店の教訓は食い逃げした人がいても追いかけないという
マニュアルがあったので店長が判断してそうしたのだと思う。
店長はあごで私に外に出て窓拭きをするように指示した。
私はTシャツ一枚で寒い北風が吹きすさぶ冬空の下で
ワイパーを握った。
自然に涙がひとすじ頬に伝わってとても悲しかった。
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