本当に心にしみる言葉だった
上の子はなんとか、行く学校も決まって私は新しい就職先を探すことにした。今度はなるべく自分の能力を試せるところがいいな、と思っていた。
いままでは枠の中に自分をあてはめるような働き方だったけど、もっと創造性のあるような仕事をしようと思った。そのころは世の中的にも不景気だったし、年齢的な壁が私の前に立ちはだかっていた。事務の仕事にはつけそうになかった。だから気持ちを切り替えて年を重ねたからこそできる仕事、将来的にも続けられそうな仕事を探した。
求人票に結婚相談所でパートの相談員の仕事があった。面談したやり手の女性支社長に気に入られて即採用になった。でも相談員になるには営業の仕事をしてひとつ契約を決めてからといわれた。結婚相談所にもいろいろある。が、そこは結婚適齢期の子供の名簿を名簿会社から買い、親に電話をかけて顧客を開拓するというやり方だった。
しかし、そのやり方で全国的に大きくなった結婚相談所だったがだんだんと若い年齢の名簿が個人情報保護法の影響で手に入りにくくなっていたため、古い名簿を何年も何度も使っていた。
ということは年齢のあがった結婚するのが難しい人たちの親に電話をかけなければいけないことになる。本人のことを心配しているであろう親に対して電話するのは効果的だったからこの方法で会社は大きくなってきたのだろうが現状でのやり方では先が頭打ちにみえた。
それでもやり手の女性支社長の前に机を並べ、常時10人前後の人たちが名簿を順番に時間差で営業電話をかけ続ける。それを支社長が逐一チェックし、いちいち口をはさまれて仕事をしなければいけない仕事環境だった。見込み客を最終的には支社長が訪問するか、来社してもらってクロージングすることで契約を成立させる。その結果を月一回のミーティングで全員があつまり、報告と反省会をする。毎朝、朝会で支社長が感動しそうな話をローテーションでする。成果がでなければたたかれるし、毎日が戦いだった。そうした環境はなんだか息が詰まりそうだった。
そんな生活を続けていると私は、咳が止まらなくなった。スピリチュアル的にいうと「言いたいことが言えなくて我慢している」状態。まさしく、そうだった。
それでも毎日、我慢して見込み客に電話をし、知り合いに声をかけ、なんとか契約を1つ決めることができたがそれまでのストレスからいつも咳をした。だから相談員に移る前にそこの部長から「咳があるからうちでは引き受けられない」と言っている、と支社長に間接的に言われた。
そのかわり、全国にある支社すべての結婚相談所で行われるお見合いの日程を調整する部署に配属されることになった。その部署を統括しているGさんがこれまたいじわるだった。一度やめたにも関わらず、支社長が引き戻した人物であったので部署では大きく幅をきかせていた。どんなミスも見逃さず、重箱のすみをつつくタイプで自分と合わない人を徹底的にいじめて追い込むので何人ものひとがそれでやめていった。
そのなかでJさんはGさんにいやがらせを受けても絶対やめずに何年もそこに勤めていた。Jさんは体の大きなひとでやることがどんくさいとの理由でGさんの標的にされたとのことだった。この職場に来るまでになかなか就職先がみつからず、やっと就職したこの職場で頑張り続け、Jさんも主のようにその職場にいたが仕事にも慣れ、Gさんのいじめにも耐え抜き、そのせいだろうかJさんも意地が悪かった。
この二人が職場のギスギスした雰囲気を作り出し、ピリピリとした空気感を醸し出していた。アダルトチルドレンの私はそこにうまく溶け込めなくて毎日、どうやってやり過ごそうかと思いながら仕事をしていた。当然、咳はとまらない。
営業のときはさすがに人当たりがいい人が多く、人間関係はよかった。ただ、契約が決まった時に私の通勤定期券Suicaがなくなった。嫌がらせなのか、手癖が悪いのか、それはそれで女の嫉妬、表面はうまくやって人をだますというような習性をその職場で感じて背中がぞくっとした。
営業も相談員も調整部署もどこも先行きを感じられなかった。咳もますますひどくなったが病院に行っても原因はわからずじまいで先生は首をかしげていた。私は口にこそしなかったが仕事のせいだと思った。自分が頑張ろうと思っても体が「この職場はもう無理だよ」と教えてくれたような気がした。
私は、しばらくして支社長にやめることを伝えた。支社長は私が契約をとれたことで惜しいと思ったのか、引き留めたが私は咳を理由にやめることを貫いた。ちょうどこの日、オーナー社長が来社していて「またもどってきてね」といわれたが、私には心からそんな気はさらさらなかった。
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