本記事では本記事では毒親育ちから回復するために
必要な事柄【右脳教育】【子育てのポイント】に
ついて毒親育ち50年以上の私がお伝えします。
私は、25年前に試行錯誤して結婚して子育てしま
したが毒親育ちにかなり苦しめられました。
今回の【右脳教育】【子育てのポイント】を心に
留めて一歩踏み出せばあなたはよけいな回り道を
せずにアダルトチルドレンから回復することが可能
になります。
最後まで読んでみてくださいね。
早期教育【乳児編】
ドーマン式も七田式も世の中では早期教育といわ
れています。
早期教育については賛否両論あると思います。
「そんな早くからかわいそうに」とか「詰め込み
教育じゃないか」とか「どうせ二十歳すぎればた
だの人でしょ」とかいう意見です。
私もそういう批判はなるべく受けたくなかったの
で周りの人にはあえて話さないできました。
でも批判は重々承知でいままで続けてきました。
なぜなら前にも書きましたが私はドーマン法も
七田式も基本理念がすばらしいと思っていたの
で早期教育というのはその一面にすぎないと思
ったからです。
それにアダルトチルドレンの私にとって藁をも
つかむような気持ちだったのでそれこそ必死に
本を読み、翌日子どもたちの学習の取り組みを
するという毎日でした。
学習の内容は膨大で絵本は200冊ぐらいありま
したし、ドッツカードやESPといわれる教材
からパズルや図形の磁石、積み木、1500枚のカ
ード、ひらがなや数字のポスター、童謡CD、絵
描き歌一式など教材が届いたときはダンボールが
いっぱいで正直いうと使いこなせるのか途方にく
れました。
でもそんなことはいっていられない状況でした。
なぜなら上の子を産んで実家に里帰りしたとき、
ぼうやが「おしっこした」といっては泣き、また、
すごいくいしんぼうだったので「ミルクが足りな
い」としょっしゅう泣き、母に「神経質な子ね。
育てにくいわよ」といわれたのです。
マタニティブルーのところへ不安が募り、毎晩ミ
ルクをやりながら泣いていたので「ここで負けて
はいけない」と思っていました。
また初孫にもかかわらず、喜んでいたのは、はじ
めのうちだけでみんなのごはんを用意するのもめ
んどくさくなったらしく「早く帰れ」と三週間弱
で返されて応援も頼めない状態でした。
そんななか精神的にもうどうにもならないと思っ
てアドバイザーにTELしました。
すると「まあ、それは胎教からやってきた成果が
でているのよ。おしっこを教えてくれてほめてあ
げなくちゃ。そろそろドッツカードもはじめまし
ょうね。」といわれました。
同じことをいっても母とアドバイザーではこんな
に捉え方が違うんだという驚きと「前向きに考え
よう」という気持ちで学習の取り組みをはじめた
のでした。
取り組みをはじめると絵本も内容がわかっている
かのように同じところで足をバタバタさせてけら
けら笑ったり、ドッツカードをある程度やったと
ころで私がおそるおそる「どっち?」ときいてみ
ると「そんなのわかっているよ」という顔をして
即答で正解のカードをたたきます。
ドーマン博士の本には「楽しんでやりましょう。
テストはだめです。遊びのつもりでまちがっても
抱きしめてあげましょう」と書かれていたのです
がまちがうどころかいつも正解なので驚いてしま
いました。
乳児の時から反応はとてもよかったようです。
幼児教育に取り組んだ理由【私の体験談】
私が幼児教育に取り組んだのは母の育児のやり方
に疑問を持ったからというのが一番の動機だった
ですが私の子供時代を考えてみて運動神経や頭の
働きはどうも幼児期に育つのかもしれないと感じ
たからでした。
私は赤ちゃんの時、手がかからない子だったよう
でずっと寝ていたそうです。
私の母はその後も私を公園には連れて行ってくれ
なかったので幼児期もたぶん家の中で過ごしたの
だと思います。
小学生時代は家族が病気を立て続けにしたことも
あって友達の家に遊びに行くことはほとんどなく
て妹と家の中でいつも人形遊びをしていました。
だからシューフィッターに「子供の頃、外で遊ば
せてもらえなかったでしょう?」といわれたのか
なと思います。
私がそんな事情を説明したわけでもないのに「足
を診ただけでわかるんだ」と驚きを感じました。
昔の中国で小さい足は美人だからと子供のころ小
さい靴をはかせる「てん足」という風習があった
ようですがこれも足が弱くて困っただろうなと思
います。
ものの本によると女性が遠くに逃げられないよう
に家のなかに縛っておくためにそうしたのだとい
う説もあります。
私は自分の足が以前から疲れやすいのに気がつい
ていましたが改めて専門の人にそういわれてこの
「てん足」を思い出してしまいました。
これも一種の虐待かとまで考えてしまいました。
ただ、母が私を運動させなかったのはただ単にめ
んどうだったからだと思います。
だから公園に行って遊ばせるなんて考えもしなか
ったのだと思います。
また2歳下の妹が脱臼だったこともあってそうし
た余裕もなかったのだと考えられます。
ただ足が弱いと健康も損なわれるようで「これか
らは疲れにくい靴を履いてよく歩いてください」
とシューフィッターに言われました。
アダルトチルドレンとして精神的にもいろいろ荷
が重いのに健康面でも自分で努力しなければいけ
ないと思ったとき、とても悲しく感じました。
こうしたことを踏まえて自分の子育てにはそうし
た二の舞はしたくないと肩に力の入った子育てが
スタートしました。
勉強面でも母や先生から「のろい、グズ、とろい、
頭の回転が遅い」といわれて悲しい思いをしたの
で子供にはそんな思いをさせたくないと思ってい
ました。
たぶんこれも幼児期の働きかけが問題だと私は子
供を持ったとき思いました。なぜなら妹と弟は運
動も頭の回転も悪くなかったからです。
妹は脱臼だったので寝たから下に置くとすぐ起き
てしまったり、彼女の性質上、たぶん赤ちゃんの
ころからじっとしていられなかったようでとても
手がかかったと親が言っていました。
だからあまり寝かされることなく、刺激を受けな
がら育ったはずです。
弟は生後まもなく、母親が出産の時の輸血後肝炎
で入院していたため、叔母の家で過ごしていまし
た。
叔母の家は父の本家の裏にあったので人の出入り
も多く、たぶんこれも刺激を受けて成長したと思
います。
その後、1歳ぐらいで川崎病になり、病院に入院
していろいろな人に抱っこされたと親が言ってい
ますので不幸中の幸いといいますか、たぶん脳の
発達に大きな影響を与えたと推測できます。
だから二人に比べてなんで私は運動神経や頭の回
転が鈍いんだろうと子供時代に思っていました。
そんな訳で妊娠中はかたっぱしから育児書を読み、
家庭保育園にたどり着いたと言うわけです。
何でも脳の発達には何より刺激が大切なこと、な
かでも幼児期に刺激を与えるとその子の持ってい
る資質を伸ばせるということがわかりました。
また、そこでは「心の教育に重きをおき、親子の
一体感を感じるような子育てをしましょう」と書
いてありました。
このひとことでこの幼児教育に興味を持ったとい
っても過言ではありません。
私自身、母からの虐待でゆがんだ心を抱えて子育
てするのは不安だったし、アドバイザーがいるの
もいいなと思いました。
はっきり言って教材は高かったです。
でもこれは私の退職金や出産一時金でまかないま
した。
教材は山のようだし、母親用の読む本はたくさん
あるし、母親は心ないことを言うしで不安をたく
さん抱えながらの育児のスタートでした。
でもこのあと訪れる何回かの試練に耐えてこれた
のもこの幼児教育があったからこそで迷いながら
も何とかこなしてこれたことに感謝したいです。
そしていままでの日記は自分のことを中心に振り
返ってきましたがこれから少しずつ私が幼児教育
で学んだこと、感じたことなどをUPしていきたい
と思っています。
まとめ
こうしたアダルトチルドレンから回復するのは
自分自身が強い意志を持って
自分の問題に取り組む必要があります。
いずれにせよ、まずは自分が生きづらい原因を
見つけることが大切です。
また、自分だけで解決が難しいなら
心理カウンセラーに相談することをおすすめします。
回復への手助けもしてくれます。
ただし、デメリットとして料金が継続的に
かかります。
そんなときはこちらをおすすめします。
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コメント
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