時代
そんな時代もあったねと いつか話せる日が来るわ あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ だから今日はくよくよしないで 今日の風に吹かれましょう
——『時代』中島みゆき
アダルトサバイバーの私は、いつもこんなふうに自分に言い聞かせながら生きてきました。
あの苦しい子ども時代には、二度と戻りたくない。
自分というものを持てず、いつも親の所有物として扱われてきた。
いまだにそれは変わらないけれど、でも私は人権のある一人の人間なんだ。
嫌なときは「いやだ」とはっきり大きな声で言いたい。
たとえ親から絶縁されてもね。
今はこんなに悲しくて、涙も枯れ果てて、もう二度と笑顔にはなれそうもないかもしれない。
だけど、「そんな時代もあったね」といつか笑って話せる日が来る。
そう信じて、今日の風に吹かれていこう。
喜びも悲しみも繰り返しながら、時代は回っていくのだから。
瑠璃色の地球
夜明けの来ない夜は無いさ あなたがポツリ言う 灯台の立つ岬で 暗い海を見ていた
——『瑠璃色の地球』
この情景が、私はいちばん好きです。
それはいつも、そうやって私が一生懸命生きてきたから。
どんなにつらくて、しゃがみ込んでしまいそうなときも、前を見つめて信じていました。
母からの暴言や暴力も、ヒステリックな先生に人格否定されたときも、中学時代のいじめや仲間外れも、アルバイトで性格を罵られたときも、会社でリストラに遭ったときも―いつだってそう信じて生きてきた。
悩んだ日もある 哀しみにくじけそうな時も 生きて来られた
この歌は、私とインナーチャイルドの姿そのもののようです。
二人が一つに統合されていくようなイメージ。 本当は恋人同士のような関係なのかもしれないけれど、それでもいいの。
少なくとも、自分の子どもには世代間連鎖はさせない。
私は母のようにはならない。
子どもを守り、愛し、抱きしめたい。
私の悲しみが、いつか優しさに変わるように。
子どもたちはわかってくれている。
それが、私の唯一の救いです。
母もまた、愛されたかったのでしょう。
親になってその苦しみがよくわかるけれど、でも母にはできなかったんだね。
かわいそうな人。
愛する力が愛憎に変わってしまったのでしょうか。
私にはわからない。
どうしてあんなことを子どもにできたのだろう。
生きていらっしゃる間は誰もが「地球という名の船の旅人」。
神さまが決めたその日まで生きていこう。
あせらないでいいんだよ。
さとうきび畑
私は、新垣勉さんが歌う『さとうきび畑』が好きです。
新垣勉さんは、沖縄で米兵と日本人女性との間に生まれ、助産婦のミスで両眼を失明された盲目のテノール歌手です。
両親に捨てられ祖母に育てられた彼は、はじめは自身の境遇や両親を深く憎んでいましたが、牧師やキリストとの出会いによって人生が変えられたといいます。
彼はその後、武蔵野音楽大学大学院を卒業し、テノール歌手として全国を回っていらっしゃいます。
それは、アダルトサバイバーとはまた別の、深い苦しみを背負った人生でした。
寺島尚彦さんが作詞・作曲したこの曲は、一聴すると穏やかでありながら、聴いていくうちに「反戦歌」であることに気づかされます。
太平洋戦争時、私の母方の祖父は、南国の島で戦死しました。
よってこの曲は、私にとって決して他人事ではない、特別な歌です。
祖父が死んだとき、母はわずか2歳。
その弟は生まれたばかりでした。
だから、父親のことはまったく覚えていないそうです。
その後、祖母は公務員という職に就き、女手一つで2人の子どもを育てました。
きっと、その頃の祖母も必死だったのでしょう。
「母にあたっていた」という話を、よく愚痴として聞かされました。
生理でおなかが痛いときには足蹴りにされ、子どもの頃から「私には頼らないで」と言われて育ったと母は言っていました。
それがさらに世代間連鎖として、私たちへの虐待につながったのでしょう。
祖母と同じことを、母は私たちにしたのです。
この虐待は、現代にもまだ残る「戦争の後遺症」と言ってよいものだと思います。
子ども時代、「祖父がいたら」と何度思ったことでしょう。
「おじいさん、助けて」と。とても優しい祖父だったそうですから。
だからこの歌は、私にとっても特別な意味を持っています。
戦争は二度としないでほしいと、心から願います。
【参考記事】 毒親育ちが心の底から泣きたいときの音楽【アファメーション3選】
今回ご紹介した曲・CDはこちら
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