食器洗い機のすすめ

もみじ生活

結婚してから何回か寝込んだことがありました。結婚当初は物珍しさも手伝って母も2回ほど手伝いに来ましたが今では考えられないことです。

結婚当初は結婚式の前日まで勤めて同時に妹の離婚問題、自分達の新居の準備や買い物、結婚式の準備に追われて結婚式の次の日は新婚旅行で海外へ出発したので帰ってきてから1週間ほど寝込んでしまったのです。でもまだ共働きで有給の心配をしている程度でさほど問題はありませんでした。

それから初めての子どもができる直前まで働いて仕事はやめました。なぜなら母から「援助はできない」といわれていたし、夫の両親も遠く、夫自身も出張がちで仕事は続けられそうになかったからです。

そして上の子が1歳6ヶ月のとき下の子を出産しました。このときも里帰りはしてもいいけれど「上の子は見れない」と言われていたので駄目もとで保育園に3ヶ月間だけ入れるように手続きしました。運良く許可が出て生まれる前後、上の子は保育園にいくことになり、送り迎えだけは両親や妹の手を借りました。

でもすぐ里帰りから返されて無理していたことも影響して上の子が保育園でもらってくる病気で2週間ほど寝込んでしまったのです。このときばかりは本当に情けなくて泣きそうでした。おっぱいをあげるので薬を飲むこともままならず、下の子はおっぱいしか飲まなかったので身体にムチをうっておっぱいを飲ませました。

さすがの母もこのときばかりは自分のうちで子どもを見ざるを得ないと思ったのか2日ほど子どもは実家に連れていかれました。

でも夫婦そろって寝込んでいたので自分達のご飯は食べられなかったし、食器も山積みだし、洗濯物は山のようでおまけに母からは「子どもの世話で忙しい」と文句たらたらいわれていたのでさすがの夫も「自分の実家に帰ろうか」と泣き言をいったほどでした。ご飯は妹が見かねて2回ほど差し入れてくれました。ほんとありがたかったです。

その後、病気は回復したものの、気分が沈みがちになり何をしても気力がなくなりました。いまから考えるとあれが「うつ」というものだったのかなと思います。涙があとからあとから出て止まらなかったし、「なんで生きているのか」とかいろいろ悪いことも考えました。気力もなくなりどうやって暮らしていたのかさえ記憶にありません。

みかねた夫が郊外の温泉地に子どもと一緒に連れて行ってくれました。温泉には入りませんでしたが緑がいっぱいのところで「生きる気力」のようなものが沸き起こってきたのを昨日の事のように覚えています。それから2人の子育てをするために無我夢中で生きてきたような気がします。

子どもは保育園や幼稚園に行くと病気をよく拾ってきます。これがもとで何度か家族で寝込んだこともありました。そんなときでも以前のことを思い出し、自分達で何とかしようと頑張ってきました。お互い協力し合って絆が深まったところもあります。

そんな夫が「家で買ってよかったものはなんと言っても食器洗い機だよね」といいます。病気で寝ていようが具合が悪かろうが汚れものはどんどんたまっていきます。そんな時、身体が動くほうがこの機械の力を借りて家事をこなすことができます。老人だけの家庭でもこれはいえると思います。これで人の手を借りるとしたら大変です。でも機械は文句をいうこともなく、きちんと仕事をしてくれます。

食器洗い機は贅沢だという人もいますが長い目で見れば洗剤も水もお金も時間さえ節約できるのです。これを見逃す手はありません。ですから私は機会があるごとに食器洗い機のよさを普及しているのです。

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