自分育て

子育て

上の子が5月から毎週日曜日に体験でサッカーに通っています。きのう正式に入会手続きをしてきました。

本人が「サッカーをやりたい」というので隣の子と一緒に始めたのですが毎週、楽しいみたいです。

でも低学年のうちは、親が送り迎えと付き添いをしなければいけないし、ローテーションでお茶当番とかもあるようです。人間関係が苦手な私にとって今回子供と一緒に学ぶいいチャンスなので同時に自分育てをして過ごそうと思います。

いろいろな学年や違う学校の子供と友達になれるのできっと将来、息子のお金で買えない財産になると考えています。

私が子供時代、母は私の友達に対して「あの子とはつき合っちゃだめ」とか、「そんなことを友達にしてやっても何の得にもならない。」「最後に助けてもらえるのは家族だから家族を大事にしなさい」という考え方でした。

実際、いとこたちともつきあいはなかったし、助言してくれる大人も他にいなかったので文字通り母の言葉に縛られたのです。

そしてまた、物理的に家族が続けて病気をしたので団結しなければならなかったということもあり、友達の家に遊びに行くというのもかなり制約がありました。

だからいつしか友達をつくることに関して母の刷り込みが浸透していたように思います。母自身も友達がいなかったし、私たちにいつも干渉していたので自由に振る舞えなかったことも大きかったと考えられます。

母はたぶん友達が欲しかったと思います。いえ、いまだってそう願っているのです。それは特に母が趣味のパチンコ屋で友達になった人と一時、手芸の交換などして仲良くなり、家に行き来しようとしていたとき、相手に断られてショックを受けていた時に感じました。

母の学生時代は友達に対して劣等感を感じていたようで自分は友達と対等だと感じられないようでした。それは父親がいなかったので経済的な面やひけめがあったからかもしれません。

だからそれは私たちの友達作りにも反映して「どうせあんたはあの子よりできが悪いのだから」とか、私たちに劣等感を植え付けるような言葉がけをしました。

そして後から考えれば、ギブアンドテイクが友達の基本なのになんでそんなことを言ったのか母の考え方の狭さに悲しくなりました。

また実際、私が友達を助けてあげても何もしてくれなかったりしたときに「ほれみたことか、あの子はあんたをそれほど思っていないんだからつき合うのをやめなさい」などといわれました。

でもこれは結果主義だと思いました。友情というのは一般的に長い時間かけなければ育たないと思うし、すぐなにか見返りを期待するのは早急じゃないかとも感じました。とにかくすぐ結果がでないと「最後は家族が」という言葉が私を縛り付けました。

そうした意味で私が学び損なったことを息子の成長過程を見守りつつ、私自身も自分育てをしていきたいと考えています。

コメント

  1. Piper より:

    How come you do not have your website viewable in wap format? Can not see anything in my phone.

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