先日、家族で公園に行ってきました。息子が「僕の誕生日プレゼントはいろいろな公園につれていって」というくらい公園が大好きなのです。
まずは八百屋でお買い物をします。その公園にはミニ動物園があって野菜をあげられるので八百屋でキャベツや大根のいらない部分をゲットしました。お弁当と飲み物、お菓子も買っていざ公園へ。サッカーをしたり、動物に触ったり、ポニーに乗ったりして遊びました。
私は子どもの頃、近くの公園にもつれて行ってもらったことがなく、近所の神社でさえ「危ないから」という理由で「行ってはいけない」といわれていました。だから子ども時代は家族の病気の件もあり、家のなかで妹といつも人形遊びをしていました。
休日はというと遅い朝食を食べた後、父は碁や将棋やマラソン、野球のテレビから離れなかったし、妹と私は両親の肩もみをするというのが恒例でした。
子ども時代、動物園に行ったのも1回だけという乏しい体験でした。家でペットなんてとんでもなかったし、とうとう動物と親しむ機会がないまま大人になってしまいました。
だからミニ動物園に行って子どもに「ママ、触ってみなよ」といわれてもおそるおそる恐々という感じです。夫はこういう経験が豊富なのでいろいろな動物を捕まえて子どもに触らせたり、自分も楽しんでいます。
上の子は怖がりでなかなか慣れるのに時間がかかりましたが下の子ははじめから鳥を追いかけまわして捕まえてしまいました。二人とも小さい頃から動物の絵本が大好きで繰り返し何度も読まされました。
でもその子の性質によって実際の動物を見たときに反応の仕方が違うのです。だからこそ体験は大切かなと思います。絵本でみるのと実際とでは全然違うのだということを五感を使って体験する必要があるのだと思います。こういうことに親は時間とお金を惜しんではいけないと感じます。
私は今、自分が子ども時代体験できなかったことを子どもと一緒にやっているのだと思っています。でもこれが疲れるんです。だからつい、子どもに「疲れたあ」と言ってしまったり、子どもが「ママ、これやってみ」と言ったときに心の中で「めんどくさいなあ」と思ってしまうのです。
そうすると上の子が「ママ、今めんどくさいって思っているでしょう?」と鋭いのです。それと私の口癖が写ってしまったようで子どもまで「今日は幼稚園で疲れたあ」「芋掘りは疲れる」とか言い出してしまいました。
これではいかんと思って一年ほど前から「コエンザイム」を愛飲するようになりました。これを飲むと夕方の疲れが違うのです。最近テレビで話題になっているようですが以前から私は実感していました。やっぱり「大人が子ども時代を生き直す」のって大変だなと日々感じています。
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