毒親育ちの介護【毒母】

介護
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条件付きの愛と新たな局面

夫の実家で感じるのははちみついろの実家との違いです。たとえば夫の義父は大工だからいろいろな人とのつき合いがあり、もらい物が多く、私たちにもいろいろ持たせてくれます。義母も気前よくくれるので私たちもありがたく頂戴します。結局、今回の旅行代金も支払ってもらってお盆のこづかいまで貰ってしまいました。

義父の口癖は「子供にやるんだから惜しくない」というものなのですがはちみついろの実家にもとても気を遣ってお米をおくってくれたり、時にはお金も包んでくれます。

そうしたことではちみついろの両親もそれなりに帰省のみやげを調達したり、世間並みのことはしてくれます。ただ、夫の両親は十分すぎるほどに気を遣ってくれるので母も恐縮していますがなんでも母は条件付きなのだなと思ってしまいます。

なぜそう思うかというと妹の夫の実家の悪口を私に言うからです。妹の夫の実家のお中元やお歳暮が滞れば当然、文句です。「こっちがやってやっているのに向こうは」というのも口癖のようにいっています。

以前、妹が向こうの実家で精神的に追いつめられたとき、はちみついろの家で妹一家を一ヶ月、預かったのですがそのお礼がないことにも母は憤りを感じています。母も妹を受け入れてやらなかったことに否があるのではとはちみついろは思ってしまうのですが…。あのまま、放置しておいたら妹は何をしたか分からないくらい追いつめられていました。なぜ母はそんな妹を受け入れてやらなかったのか、母の人間的な未熟さを感じています。

そして自分のことを棚上げして人の批判をするところは昔とちっとも変わっていないのです。さらに自分が与えられなかった愛をいまだに子供に渇望する母の心を底なしに感じます。自分は子供に対して条件付きの愛のくせに自分は子供からいくらでも持っていこうとする母に憤りを感じます。

それは特にお金の面で感じています。はちみついろの出産の里帰りのお金を包んだ件にしても、何か母からもらって返さないといつまでも何倍もの文句が返ってくるということにしても。

子供時代もそうでしたが「私がこれだけやっているんだからあんたもそれに応えなさい」ということをいつも言われました。社会人になってからはそんな母に気を遣い、こづかいをあげたり、おみやげを買ってきたりしました。それでも母は満足しません。もっともっとと私に要求しました。はちみついろは母のそばにいることに疲れていました。

やっと結婚が決まって家から出たときも毎晩母に追いかけられる悪夢にうなされました。だから母の編んだセーターを母は自慢にしていましたがはちみついろは条件付きの愛のように感じて強迫観念に駆られていました。「こんなセーター着ている子なんていやしない」「お母さんが夜なべして一生懸命編んだんだからあんたは感謝しなければいけない」とうことを繰り返し言われ、ありがたいというよりも恐怖を感じていました。「母を怒らせてはいけない」「着ないとどんな虐待が待っているかわからない」というように。

だから結婚してそのセーターには1度も袖を通しませんでした。シーズンごとになぜそのセーターを着れないのか自分自身、目をつぶっていました。でもこの春、思い切ってそのセーターを市のリサイクルに出しました。はちみついろには重すぎる荷物だったから。母はこの先、セーターを編まないと思います。でもそれでもよかったと思っています。

いま母は薬のせいで時々、ぼけてしまう時があり、具合があまりよくないのです。外に買い物に行けない状態で食事も作りません。はちみついろも実家にはなるべく近づかないようにしているので用事でしばらくぶりに来た父のあまりの痩せ方に驚いて話を聞くと母がおかしいとのことで急いで家にあるすぐ食べられそうな果物、ゼリー、プリン、冷凍食品、インスタントラーメンなどを持たせました。はちみついろは母の援助を受けられないことがわかっているので非常食をいつも用意しています。それが役に立ちました。皮肉なものです。

子供時代、私たち兄弟が母に「感謝が足りない」とぶたれたことも何度もありました。いまだってそうです。「私はいままでこんなにやってやっているのにやってくれない」と思っていると感じています。

はちみついろと妹はまだこれにおびえているのかもしれません。はちみついろは父がきてからすぐに妹に電話して次の日、買い物にいく約束をしました。両親の食料の買い出しとお届けのためです。妹もはちみついろもたびたびいけないこともあって1万5千円ほどの買い物をしました。さらに2週間後、それぞれに1万円ずつ食料を届けました。

最近の母は具合が良くて料理が出来る状態でもいっさい料理をしないのですぐ食べられそうな、日持ちする物が中心です。母のすきなお菓子やデザートも買い込みました。

私たちがいくと喜んでくれるのは父で感謝の言葉を口にします。母が喜ぶことをすると父も喜ぶので父のためにやっているような感もあります。あとは子供時代の母の恐怖感から強迫観念でやらなければという義務感もあることも否めませんが。

弟は連絡したけれどしらんぷりだと母は怒っていました。それも特にお嫁さんに対して腹を立てていました。はちみついろが「働いているから忙しいんだよ」というと「だって電話ぐらいできるでしょう。電話もよこさない。自分は福祉の分野で働いているのに」とか、それまで母は私たちにはくれたことのないこづかいをお嫁さんにあげたり、自慢の嫁だったのに一気に株が下がってしまったようでした。

妹には「やっぱり頼りになるのは娘ねぇ。これからもよろしくね」と思いっきりいわれたと言っていました。でも子供の頃、「私が年取ってぼけたらあんたたちを困らせてやる」と鬼母の顔で繰り返し言われたことは脳裏に焼き付いていて引いてしまう自分がいます。

母の条件付きの愛はこれからも変わることはないでしょう。そして母は私たちに愛を渇望し、要求し続けるでしょう。私たちは昔の母の恐怖感や強迫観念をかかえつつ、親の愛の恩恵を受けないまま、介護という新たな局面に足を踏み入れようとしています。

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