数年前、子どもを産んで育てていくうちに、私は自分の中に奇妙な違和感を感じるようになっていました。
産んだばかりの頃は、ただ必死でした。おっぱいをあげて、おむつを替えて、お風呂に入れて……。それは実に原始的で、動物的な大変さです。 でも、子どもが少し大きくなり、2歳児の反抗期が始まると、私はイライラしはじめてしまいました。
「もしかして私は、子どもを愛しているつもりなのに、愛せていないのではないか?」 そんな疑念が浮かびました。子どもはかわいいのに、抱っこしているときに感じる言いようのない違和感。 振り返れば、私は子ども時代、母に抱きしめられて「愛しているよ」なんて言われたことがありませんでした。「抱っこなんかしたくない」と、心の中でだだをこねるインナーチャイルドの自分がいました。
「子どもは私にとってとても大事なはずなのに、なんで……?」 愛せない自分を責め、どうにかして愛せるようになりたいと切実に願っていました。
自己否定と生きづらさの鎧
子ども時代、日常的に繰り返された虐待のせいで、私は「自分は愛されていない」と思い込んで育ちました。繰り返される言葉の暴力に、「自分には何の価値もない人間だ」と深く刷り込まれてしまったのです。
子ども時代からずっと、毎日毎日、自分自身への自己否定を繰り返しながら生きていくのは、とても苦しいことでした。そして、「親に愛されない」という事実が「自分は愛されない」という思い込みをさらに強化し、私をより一層苦しめました。
さらに、自己否定を抱えたまま大人になるにつれて自己防衛が強くなり、
- 「誰も愛せない」
- 「誰も信じられない」
- 「自分が幸せになることが想像できない」
- 「怒りっぽい」「イライラする」
- 「他人を気にする」
- 「完璧主義」
こうした分厚い鎧で自分自身をがんじがらめにし、生きるのがとても苦しかったのです。
そんな中で夫と出会い、結婚しました。それは奇跡のような出来事でした。 おまけに、夫はアダルトチルドレン(AC)ではなく、健全な家庭で育った人でした。子育てをする上では、それは本当にラッキーなことでした。とはいえ、AC特有の苦しさを完全に理解してもらうことは難しく、その悲しみはいまだに残っているのですが……。
コントロールの呪縛と「因果応報」
けれど、現実は毎日動き続けています。 子育ての問題に直面し、「夫にいろいろ言われて自己否定を繰り返すのはもうやめよう」と気づいたのは、ごく最近のことです。さらに、「子どもをありのままに受け止め、コントロールしないように意識して生活しはじめる」ということも、つい数日前のことでした。
あの違和感を覚えた原点の子育て期から、実に十数年が経っていました。 それは、上の子どもの通信簿が夫の言葉とともに、私に反省を促したことがきっかけでした。「子どもが自分から進んで物事に取り組めるように、私がコントロールしてはいけないんだ」。ここにも、AC特有の「コントロール癖」が反映されてしまっていたのです。
「失敗も、子どもの大切な勉強のうちなんだ」と自分の心に言い聞かせました。 結局、自分がやってきたことはみんな自分に返ってくる……仏教でいうところの「因果応報」です。 世代間連鎖を断ち切るために、いまでも私は歯を食いしばって子育てに奮闘しています。
子どもの要求への戸惑いと、母の記憶
私には、小学生の子どもが2人います。 特に下の子は、自分の希望ははっきり要求し、ダメなら父親に頼ったり自分で行動したりするタイプです。これを見ると、私はものすごい戸惑いを覚えます。 なぜなら、私は子ども時代から「自分の希望は叶うはずがない」と、常に諦めの気持ちで生きてきたからです。
私も幼い頃はそうだったのかもしれません。「親は何でも自分の願いをかなえてくれる」と思って、泣いてゴネた記憶があります。「お母さんがここまで来てくれないといやだ」と。 でも、ずっと放っておかれました。母は来てくれませんでした。だから、自分でトボトボと帰りました。それがとても悲しかった覚えがあります。
そのうちに、願いが叶うことと叶わないことがあると分かるよりも前に、「諦めたほうが妥当だ」と自分で勝手に納得するようになってしまったのでしょう。 それが自分の根っこにあると気づいたのは、あるセラピーを受けたときでした。セラピストに、「初めの根っこの部分で、あなたは『選べない』って思い込んでいるよ」と言われたのです。 分かっていたこととはいえ、ものすごくショックでした。だって、それは人間の成長過程のまさしく根底の部分だからです。そのときの説明に、理屈ではなく思わず深く納得してしまいました。
だからこそ、下の子がしつこく自分の要求を通そうとするとき、私はものすごくイライラします。自分の満たされない思いを逆なでされるからです。
でもその反面、最近は子どものやることを手伝ってあげたりする自分もいます。それは、少しずつ自分の心が解放されてきたからなのかなと思っています。
パワーゲームの罠と、夫という存在
ただ、上の子に対しては、感情的に泣きわめいたりして「自分の言うことを聞かせよう」としている自分がいることも事実です。 先日、上の子に泣きながら「ママは勝つまで言うよね」とズバッと言われてしまいました。
子どもを力や言葉で自分よりも相対的に弱い立場に封じ込め、自分が勝利し続けるのが居心地が良いと感じる。悔しいと、すぐにパワーゲームに走ってしまう自分。 これってまさに「コントロール」ですよね。やってはいけないことだと分かっています。両親がやっていたことと同じなのですから……。でも、一度染みついてしまったものは、なかなか簡単には消えません。本当に気をつけなければと思いました。
ただ、上の子が感情的に泣いたり反発したりするというのは、それだけ親を信用してくれている証拠でもあります。素直に言うことを聞きすぎる子どもの方が、逆に怖いことかもしれません。上の子の反応が、きっと普通で自然な姿なのでしょう。
「親に甘える」ということは、感覚としてはまだ十分に理解できていませんが、子育てには非常に重要な要素だと以前から思っていました。なぜなら、私が他人を根本的に信用できないのは、子どもの頃から「甘えてはいけない」「信頼したら裏切られる」のが当たり前だったからです。
少しずつ罪悪感は薄れてきたものの、まだ清算できていない感情が湧き上がり、子育てをしているとときどき無性に苦しくなります。
夫はACではないので、子どもなりの傲慢さや間違いを優しく許してあげることができます。でも、私はACなので、心のどこかで子どもを許すことができません。親が、私を許してくれなかったからです。
私の価値観のままでは、子どもたちがACになってしまいそうなので、最近では「まずい」と思ったらすぐに夫に任せるようにしています。夫は夫の判断で、断ることも引き受けることもできます。 夫の価値観を見ていると、「こうすればACにならないんだなぁ」と、すぐに共感できない部分も多くありますが、心強く、そしてとても勉強になります。
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